日本人がF1ドライバーとして活躍する事例が増え、益々F1が日本国内でも注目されるようになりましたが、なぜ今になってF1チームに入るようになったのか気になる人も多いかと思います。そこでこの記事では、平川亮がマクラーレンチームに選ばれた理由を紹介しています。全ての情報が公開されているわけではないので、予想に近い内容にはなっていますが、それを裏付ける経歴なども紹介しているので、平川亮の家族構成と合わせてぜひご覧になってください。
マクラーレンに選ばれた理由
平川亮がマクラーレンのF1チームに選ばれた理由は、高いドライビングテクニックが評価されたからです。数ある平川亮が出走したレースの中でも特に評価されたのは、2022年と2023年に優勝したFIA世界耐久選手権です。2年連続1位を獲得したレーサーは数少なく、同年代である堤優威ですら開催地が日本国内中心であるスーパー耐久ST-1止まりでした。また、世界耐久選手権に活躍した日本人ドライバーは中嶋一貴も存在したことから、マクラーレンも平川亮を起用すれば、同程度以上の成績を残せるのではないかと感じ選ばれたものと思われます。そんな忍耐強い平川亮に任されるのがリザーブドライバーです。リザーブドライバーとは、メインドライバーが何らかの原因で走れなくなった場合に走るドライバーのことで、テストドライバーも兼任しています。テストドライバーは新しい部品をテストしたり、シミュレーション走行に参加したりするので、見方によっては本職のドライバーよりも仕事の多いポジションです。
リザーブドライバーとして成績
平川亮のリザーブドライバーとしての成績は、あって無いようなものでした。リザーブドライバーとは元々1シーズンに3度まで起用することができますが、平川亮がマクラーレンのドライバーとして実際に出走したのは第24戦アブダビGPのフリー走行1回目のみでした。記録は1分57.874秒の14番手で、ルーキードライバーとしては上位ですがF1初出走としてはほろ苦い経験をしています。この結果を受けて、マクラーレンでは2025年以降リザーブドライバーとして平川亮を契約延長しておらず、本人として満足できる結果ではなかったのかもしれません。ただし、リザーブドライバーはテストを兼ねたプロトタイプのマシンを乗っている場合も多く、公開された情報にはありませんが、これで平川亮の全てを計り切れるものではないと筆者は考えています。
マクラーレンの開発プログラムとは
平川亮がマクラーレンに選ばれた理由の中には、ドライバー開発プログラムへの参加という目的もありました。ドライバー開発プログラムとは、未来あるドライバーを育成するためのプログラムのことです。詳細なプログラム内容は公開されていませんが、ドライバーとして必要なフィジカルやメンタルを鍛えており、今までこのプログラムによってチャンピオンドライバーを誕生させたこともあります。実際平川亮が耐久レースで優勝を飾ったのは、このドライバー開発プログラムに参加してからで、同時期にTGRドライバーチャレンジプログラムに参加してた影響も大きいとも言われています。したがって、F1レースでは結果こそ出なかったものの、マクラーレンのドライバー開発プログラムに参加できたことに意味があると言われています。平川亮も貴重な体験だからぜひ参加したかったとインタビューにも応えており、所属元のトヨタもぜひ行くべきだと背中を押してくれたことも大きかったのでしょう。
金銭的な問題とも言われている理由
平川亮がマクラーレンのリザーブドライバーに選ばれた理由は、金銭的な理由とも言われています。実はリザーブドライバーといっても報酬を貰える契約と貰えない契約が存在し、平川亮は貰えない契約タイプだった可能性が高いです。その理由は、平川亮の所属元であるトヨタは潤沢な資金力を持っているからです。しかも平川亮はF3での経験はあるものの出走回数が少なく、とても今のままでF1に参戦できるほどの実力はありませんでした。そこで、マクラーレンへ多額の資金を支払うことで、ドライバーとしての実力向上を図りトヨタがチームを強くしたのではないかと筆者は考えています。
実際平川亮が加入した2024年頃のマクラーレンは流行病の影響もあり、経営難に陥っていました。したがって、マクラーレンとしても簡単にジャパンマネーを入手できる絶好の機会だったため、平川亮を受け入れたのではないかと予想しています。この予想の根拠は、バーレーン政府系基金がマクラーレンの株式をすべて取得したと公式に発表しているからです。この発表前も1000人近くリストラしていたと発表していましたし、マクラーレンの懐事情もかなり厳しかったのではないでしょうか。
平川亮の経歴と家族構成を大解剖
平川亮が初めてレースに興味を持ったのは意外にも自転車レースです。しかし、中学生のころに転倒事故を経験して以降、趣味でレーシングドライバーをしている父親の平川亮の薦めでレーシングカートに興味を持つようになっています。そして初めてステアリングを握ったのは2007年で、この頃からF1日本グランプリを観戦するなどして徐々にレーシングドライバーへの思いが強くなっていったことが分かっています。2008年からは実際に全日本ジュニアカートの大会にも出場しており、JAFより限定Aライセンスの取得が認められています。
限定Aライセンスとは、車を運転できない未成年でもレースに参加できるように暫定的にレーサーとしての資格を発行する仕組みのことです。そんな兄の姿を見ている影響からか、妹の平川真子もモータースポーツに興味を持つようになり、一家全員がモータースポーツ好きであることが分かっています。さらに平川亮自身も結婚してお子さんがいるので、将来は父親と同じようなレーサーになるのではとファンから期待の視線を集めています。
ライセンス取得以降の経歴
限定Aライセンスの影響で2010年から平川亮はフォーミュラチャレンジ・ジャパンとスーパーFJにも参戦しています。スーパーFJとは、ジュニアクラスのフォーミュラーレースのことで、このレースからプロのフォーミュラードライバーが誕生することもあるほどレーサーの登竜門的な位置づけがされています。そんなレースで当時16歳だった平川亮は岡山シリーズでチャンピオンを獲得、第2戦では16歳1ヶ月の最年少優勝記録を獲得しています。そして2011年から現在でも関係が続いているトヨタの全面バックアップを受けるようになり、スーパーフォーミュラやSUPERGTに参戦しています。その傍らBWTやTGRなどのF1リザーブドライバーを歴任し、現在に至ります。
まとめ
平川亮がマクラーレンに選ばれた理由は、資金的な意味とドライバー開発プログラムに参加できるという双方の利害が一致した結果と言われています。特にマクラーレンのドライバー開発プログラムは、チャンピオンドライバーを育成できるほど効果があることで有名で、平川亮にとってもまたとないチャンスだったのでしょう。残念ながら結果は出ていませんが、今では各F1チームからリザーブドライバーとしての声がかかるほどの実力になっているので、自分のシートを獲得できる日も近いのではないでしょうか。