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F1ドライバー

ヘルムートマルコはなぜ失明した?若い頃の功績や現在についても

F1ドライバーは職業上不慮の事故で引退を余儀なくされた人も多く、中には日常生活に支障が出るほどの怪我や病気を負ってしまう人もいます。そこでこの記事では、名ドライバーとして名高いヘルムートマルコが失明した理由を紹介しています。活躍していた頃の功績や現在の活動も交えて紹介しているので、プロのドライバーでも事故を起こすのだから自分も気を付けなくてはという戒めを持ってご覧いただければと思います。

ヘルムートマルコが失明した理由

ヘルムートマルコは失明していません。しかし、1972年フランスグランプリで、当時ロータスに所属していたエマーソン・フィッティパルディが、走行時に踏んづけた石がヘルムートマルコの目元に飛来して失明に近いレベルで視力低下の後遺症を患っています。1972年のF1には視力の規定が無かったので、そのままレーサーを継続することはできましたが、レースでは瞬時の状況判断が必要になる上に、昔は今ほど安全性の高いマシンでは無かったため、レース復帰は断念したものと思われます。

一方現在もF1レーサーに明確な視力に関する規定はないものの、FIAの競技者申込書には明確に視力が両目で1.0以上、片目が0.67以上の規定があります。したがって、仮に事故後ヘルムートマルコがF1レースに復活するとしても、出術や投薬治療などで視力を向上させる必要がありました。

ヘルメットから見る事故の惨状

事故発生時のヘルムートマルコの動画は見つかりませんでしたが、事故の時装着していたヘルメットの画像はありました。その画像からの判断ですが、石はちょうどゴルフボールくらいの大きさの物が、左目の目頭付近に飛来したようで、頑丈なヘルメットのバイザーを見事に貫通していました。そしてヘルムートマルコが参戦した1972年のF1レースは平均速度が時速170㎞だったことが分かっています。つまり、ゴルフボールほどの石が時速170㎞前後で飛来してくるため、実際に感じる重量は200㎏以上になると思われます。

人間の頭蓋骨は理論上500㎏以上にも耐えられるとされていますが、あくまで静的重量の場合です。F1マシンのタイヤが野球のピッチンマシンのように射出した動的飛来物に対しては無力で、当たり所が悪ければヘルムートマルコはこの事故で亡くなっていた可能性すらあります。この時代のヘルメットには、FRPなど耐久性のある材質が使われていたと思われますが、ゴルフボールほどの飛来物の勢いを殺すのは不可能でしょう。

失明の原因が安全対策の可能性

ヘルムートマルコが失明に近い怪我を患ってしまったのは、安全対策不足の可能性も囁かれています。理由は1972年といえば例年の度重なる大事故によって、F1の安全規定が見直された年でもあるからです。特にコース上の安全面では、各所に安全装置の設置が義務付けられた最初の年でしたが、コース上に散らばった石を見落としていたようです。しかも、1963年から1972年と言えば4年間で事故発生件数88件と例年よりも多く、運転手の死亡者を4人も出してしまっています。このことからヘルムートマルコが走っていた時代を現代のF1と比較すると、とても安全なレースができる状態ではなかったことが分かっています。そんな中、幸いなことにミハエルシューマッハ 現在のように車椅子生活を余儀なくされるほど、ヘルムートマルコは重症ではありませんでした。

事故発生直前のコースの状態について

ヘルムートマルコが事故に遭ったコースは、フランスのシルキュイ・ド・シャラードというサーキットですが、コースに問題は確認できませんでした。しかし、ヘルムートマルコが事故に遭った年には、今と違ってトラックリミットに関するルールが明確化されていないという欠点があったんです。トラックリミットとは簡単に説明すると、タイヤが1つでもサーキットの黒いコンクリート部分に設置している必要があるというルールです。つまりトラックリミットがある影響で、マリオカートのようにコースのサンドトラップ部分をショートカットに使ってタイムを稼げなくしています。しかし、事故が発生した1972年はトラックリミットが明確に定義されていなかったため、ヘルムートマルコの前を走っていたエマーソン・フィッティパルディがコーナーをショートカットしてしまいました。その結果コース脇にあった小石が弾かれヘルムートマルコの事故が発生したとも考えられます。

ヘルムートマルコの若い頃の功績

ヘルムートマルコが若い頃に築いた実績はF1ではほとんどなく、主にル・マン24時間レースに集中しています。理由は事故が発生した1972年は、ヘルムートマルコがデビューしてから2年目だったためで、今でもあの事故が無ければもっとすごい成績を納めていたのではと言われています。というのもヘルムートマルコは1970年と1971年のル・マン24時間レースでクラス1位を獲得しているからです。また、総合順位でも3位と1位を獲得しているので、ドライバーとしての腕は非常に高いことが分かっています。対してF1ではシーズンの途中から参加したり、途中で事故に遭ったりしてレーサーとしてF1を1年走り続けた実績がありません。

裏方としての実績

ヘルムートマルコはドライバー引退後も、1990年から自分でレーサーチームを結成してサーキットで戦っていました。最初に結成したのは国際F3000で戦うRSMマルコで、1999年までの凡そ10年間途中参加しない時期はあったものの、総合2位を2回獲得するなど好成績を納めていました。圧巻だったのは、ヨルグミューラーがドライバーズポイント1位を獲得した1996年のシーズンで、2回のリタイアに遭いながらも55ポイントも獲得しています。これらの実績からヘルムートマルコはドライバーテクニックだけでなく、チームの育成能力も高いことが世に認知され始めました。

ヘルムートマルコの現在について

ヘルムートマルコは2004年から2025年まで、レッドブルレーシングのチーム役員やアドバイザーを担当しています。特に注目されたのは角田裕毅との関係で、一部では角田裕毅 年収を少なくするなどの嫌がらせをしているのではとさえ言われたことがあります。事実、角田裕毅の車はトラブル続きで、一部ではヘルムートマルコがメカニックと協力して、角田裕毅の才能開花を阻んでいるなんてニュースが飛び交っていました。それなのにヘルムートマルコは白々しく角田裕毅は不幸な星に目を付けられているようだなどとコメントを残しているため、日本のF1ファンからも嫌われてしまい、2025年シーズンを最後にチーム運営の一線から退き現在に至ります。

まとめ

ヘルムートマルコはレース中に前の車が踏みつけた石が目元に飛んできて、レーサー生活が続けられないほどの視力になってしまいました。しかし、レースに対する熱量は高く、ドライバーを引退してもチームを運営することでレースと関わってきています。そんなヘルムートマルコですが、現在はチーム運営からも距離を置いた生活を送っています。

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