数いるF1レーサーの中でも、年間チャンピオンを複数回取ったレーサーは、引退後になっても話題になることが多く、中には家族も有名人になっている場合があります。そこでこの記事では、ネルソン・ピケの経歴と良く話題になる娘に関する情報を紹介しています。パートナーなども含めた私生活に切り込んだ情報も紹介しているので、引退後のネルソン・ピケがどのような生活を謳歌しているか気になる人はぜひご覧になってください。
テニスプレイヤーのはずだったネルソンピケ
現在はF1レーサーとして有名になったネルソン・ピケですが、父親がレースに熱中するネルソン・ピケに反対していたため、高校生になるとテニス留学をさせられています。しかし、ダメだと言われればやりたくなるのが子供心。ネルソン・ピケはテニスのコーチからセンスを評価されたものの、結局レースに夢中になっています。そんなレースに反対だった父親も1974年に亡くなっています。対してネルソン・ピケは下っ端でいいから働きたいとブラバム・モーターレーシングのレーサーに頼み込み、最初は警備員をしていたらしいです。この経歴を見ると最初はレーサーからほど遠い人生だったようですが、それでも1971年と1972年のブラジルカート選手権でチャンピオンになるほどのレーサーセンスはあったようです。
F3に参加してからのネルソン・ピケ
ネルソン・ピケがF3に参加したのは1977年です。1976年にブラジルのフォーミュラ・Veeでチャンピオンを獲得したのが切っ掛けで、エマーソン・フィッティパルディというフォーミュラーレースに影響力を持つ人との接触に成功しています。参戦当初からフル出場は叶いませんでしたが、ポイント33を獲得し総合ランキング3位入賞を果たす大躍進でシーズンを終えています。そして翌年1978年にF1のエンサインレーシングからスポット参戦でF1デビューを果たしました。4戦走って結果はイタリアグランプリの9位のみという結果でしたが、1979年からブラバムレーシングから正式にシートを獲得しての参戦に弾みをつけています。
最初は苦戦していたF1のネルソン・ピケ
1979年にF1に参戦していたネルソン・ピケは、最初リタイアの連続でした。しかし、これはネルソン・ピケの才能が無かったわけではなく、リタイア原因の多くはマシンに問題があったことが分かっています。特に戦闘力不足は深刻で、リタイアが無かったとしても上位入賞は厳しかったのではないかと言われています。それでも1980年にネルソン・ピケのシートを奪わなかったのは、マシンさえ調子よければオランダグランプリの4位入賞のように表彰台が狙えると分かったからです。そこで1980年のブラバムレーシングはマシン開発に力を入れ、開幕アルゼンチングランプリで2位入賞を果たしています。その後も多少のリタイアはあるものの、1位になることも珍しくなく常に表彰台を含めた上位入賞をするようになり、ポイント54で総合2位になりました。
初めてチャンピオンを獲得した年
ネルソン・ピケが初めてF1チャンピオンを獲得したのは総合ポイント50を獲得した1981年です。この年のネルソン・ピケはポールポジションを4度も獲得したり、表彰台も7度入賞するなど絶好調で、ブラジル人として史上2人目のワールドチャンピオンになっています。この時乗っていたマシンはブラバム・BT49Cで、1981年から規制が入ったグラウンドエフェクトカーを改良したタイプになっています。グランドエフェクトとは、車の底と地面の間に流れる風を利用してダウンフォースを得るマシンのことです。ネルソン・ピケをチャンピオンにした改良型は、フロントウィングなど他のパーツで足りないダウンフォースを補うタイプになっています。しかも、ブラバムレーシングは途中から予選用のシャーシまで用意してネルソン・ピケをサポートしています。
リタイアと復活を繰り返すレーサー経歴
1982年からのネルソン・ピケは、表彰台に登ることはあってもマシントラブルに悩まされる年が多かった印象です。特に1984年は総合5位に入賞したものの、リタイア9回と散々たる結果で、もしマシントラブルに悩まされてなかったらネルソン・ピケのチャンピオン獲得回数は多かったのではと思っています。そんなネルソン・ピケですが1983年と1987年にはチャンピオンを獲得しているので、本当にマシントラブルが惜しいです。そしてネルソン・ピケがF1ドライバーとして最後の年になった1991年は6位で終えています。
意外と喧嘩っ早いネルソン・ピケ
レーサーとして素晴らしい経歴を持っているネルソン・ピケですが、1982年のドイツグランプリではエリセオ・サラザールに殴りかかっています。原因は追突されたことによる腹いせで、詳細な記録は残っていませんが、エリセオ・サラザールのことを知っているからこその喧嘩だという説が有力です。エリセオ・サラザールは、ネルソン・ピケが後輩として可愛がっていたドライバーで、そんな人に邪魔された形となったことで気持ちが抑えられなかったのでしょう。事実。1982年のネルソン・ピケは車によるトラブルなどでリタイアの回数も増えており、チャンピオンから大きく遠ざかっていました。そんな中良く知っている人が原因でリタイアしたことで、熱い気持ちが抑えられなかったのではと筆者は考えています。
ネルソン・ピケの娘とパートナーについて
ネルソン・ピケの娘が有名な理由は、パートナーがマックスフェルスタッペンだからです。つまりレーサーの娘がレーサーと結婚したことで、ほとんど身内婚みたいな現象になっているということです。しかも、2024年12月にはネルソン・ピケの娘の妊娠が発表されています。ただ、ネルソン・ピケの娘はこれが初めての子供ではなく、ダニール・クビアトという元レッドブルのF1ドライバーとの子供がいます。この様にネルソン・ピケの娘はパートナーにレーサーを選ぶことが多いので、レーサーが癖なのではとも言われています。今度の結婚は長く続くと良いのですが、果たしてどうなるのかネルソン・ピケの娘の動向から目が離せませんね。
まとめ
ネルソン・ピケは3度のF1ワールドチャンピオンを獲得している元レーサーですが、実はテニスプレイヤーとしての才能も評価されていました。しかし、ネルソン・ピケは父親の制止も聞かずレーサー一辺倒の人生を歩んでいます。マシントラブルに悩まされることの多いレーサー人生でしたが、引退直後のレースでも好成績を残しており、世が世ならもっと活躍できたのではないかと思われている惜しいレーサーでもあります。そんなネルソン・ピケは娘がマックスフェルスタッペンとの子供を授かったことで再度注目されるようになり、現在に至ります。