レーサーの中にはレース以外の事でお騒がせすることが多いと認知されている人も存在します。そんな中でも片山右京は、F1レーサーだった影響もあり成績よりもその後の活動が悪目立ちしてしまったレーサーとして有名です。そこでこの記事では、片山右京が不名誉にも目立ってしまった事件について紹介しています。特に富士山で起こったトラブルとフライデーされた事案を中心に取り上げているので興味のある人はぜひご覧になってください。
片山右京が遭遇した富士山でのトラブルとは
片山右京は2009年12月17日に富士山を登山中に遭難しています。遭難したのは片山右京の他に会社のプランニングを担当している社員2名で、南極大陸のヴィンソン・マシフを登頂するための事前練習として富士山の登山にチャレンジしていました。この遭難によって一緒に登山をしていた宇佐美栄一当時43歳と堀川俊男当時34歳が凍死しています。発表によると12月18日午前0時50分と午前7時35分に静岡県警御殿場署に片山右京から連絡が入り、テントが飛ばされて1人が凍死し、もう一人も危険な状態と連絡が入ったとのことです。連絡を受けた静岡県警御殿場署山岳救助隊はすぐに救助に向かい、12月18日午後0時20分に片山右京を標高2200m付近で確認し救助しました。
当日の天候は登山に適していたの?
気象庁の発表によると、片山右京が富士山登頂を目指した2009年12月17日は、強い寒気が日本上空に継続的に流れ込んでいる状況で、一部の地域では初雪が確認されていました。しかも静岡県側は、マイナス5度近くも寒くなり平均気温が氷点下22.6度を記録し、救助された18日はさらに寒くなっていました。つまり登山に適している天候とは言えず、上級者でも登山はやめるべきだと思います。レーサーで体を鍛えていた片山右京だからこそギリギリ耐えられたものの、いくら登山経験があるとはいえ、ハードなトレーニングを積んでいない人が登ったら代謝の低さからすぐに凍死してしまうことが考えられます。事実、片山右京以外の2人は30歳から40歳と片山右京よりも若かったにも関わらず凍死しています。
富士山の冬季登山禁止は本当?
富士山が登山できるのは夏季のみで、冬季は営業している山小屋も無く、閉山していて原則登山が禁止されています。勿論片山右京が富士山の登山をした2009年12月17日も閉山されており、登山するには最寄りの警察署に登山計画書を提出する必要があります。実際に登山計画書が提出されたかどうかを確認することはできませんでした。しかし、救助が比較的円滑に行われたことを考えると、片山右京は富士山の登山計画書を提出したものと思われます。ですが例え計画書を提出したとして、危険であることには変わりなく、例年死亡事故が後を絶たないので富士山の登山は夏季にするように行政が注意を呼びかけています。そんな中で片山右京は富士山の登山をしたので自業自得だと思いました。
片山右京の選択した登山ルートについて
片山右京が選んだ富士山の登頂ルートは、御殿場ルートだったものと予想されます。理由は片山右京が富士山の登頂を目指す目的が、南極大陸のヴィンソン・マシフ登頂の事前練習だからです。そのため、富士山の登山ルートの中で最も険しいと言われるルートを選択している可能性が高いです。また、南極大陸のヴィンソン・マシフも平均気温が氷点下20度から30度で、片山右京が富士山の登山をした時期の気温と同じくらいです。勿論登山の練習場所として最適という見方もありますが、やはり死亡者が出ている以上片山右京が計画した富士山の登山計画には無理があったのではないでしょうか。特に御殿場ルートは毎年5人から10人近くの死亡者や行方不明者が出ており、注意を呼びかけているにも関わらず無謀な登山を続ける人が後を絶ちません。
登山当日の片山右京の装備
片山右京は富士山だけでなく様々な登山経験があるので、持っていた装備品の情報は公開されていませんが、当日の装備は万全だったと考えられます。しかし、天気予報には無かった厳しい寒波に襲われ、テントが吹き飛ばされてしまっています。つまり遭難時に万全な装備であったとは考えにくく、メンバーの1人は既に動けなくなっていたので、下山する判断をしたのは賢明だったという見方が強いです。一方で冬場の富士山の登山は自殺行為との声も多く、装備があったとしてももう少し時期を選ぶべきだったという声もあります。筆者も夏期の富士山なら登山経験がありますが、夏期でもきつかった富士山登山を冬にやろうとは思わないし思えないです。
片山右京のフライデー事件について
片山右京は富士山で遭難したことをフライデーされたことがあります。一番問題視されたのは、動けなくなった登山仲間を見捨てて自分だけ下山したことです。実はテントが吹き飛ばされたときには、既に登山仲間だった2人が動けなくなっていたことが分かっており、1人では2人を連れて下山することができなかったとインタビューで語っています。2人が負った怪我の詳細は分かっていませんが、氷点下で出血を伴う凍傷を負った場合、凍傷箇所の組織が壊死する可能性が高いです。したがって、助かっても体の一部を切断する必要が出たり、最悪の場合死亡事故にまで繋がったりすることが考えられます。しかも体力的にも消耗していた片山右京が2人を運ぼうとしたら、全員死亡してしまう可能性が高いので、2人を見捨てた判断は正しいとの見方が強いです。
片山右京は現在何をしている?
片山右京は事件後しばらく登山活動を自粛していましたが、翌年から登山活動を再開しています。また、自分の趣味である自転車関連の仕事をするようになり、2018年から2020年まで全日本実業団自転車競技連盟の理事長を担当していました。さらに2020年11月からはジャパンサイクルリーグのチェアマン、翌年には東京オリンピック・パラリンピックの自転車競技のスポーツマネージャーも担当しています。そして2023年には日本自転車競技連盟の常務理事を担当しており、現在は自転車競技の良さを広めるための活動に力を入れています。
まとめ
片山右京は2009年12月17日に富士山の登山中に遭難しています。この遭難事故で関係者2人の尊い命が失われ、2010年まで片山右京は登山活動を自粛していました。事故当初は装備は十分だったのか、登山計画に無理は無かったのかなどフライデーされるほどに大きな問題にもなっています。個人的には冬の富士山の登山は自殺行為だと思っているので、遭難して当然だと思っています。しかし、予想できなかった寒波など天候がもう少し良ければ助かる命もあったのではないかという見方もできます。