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【F1チャンピオン】ファンジオが伝説と呼ばれる理由は?経歴や生い立ちも

1950年から始まったF1の歴史の中には、とある理由で長期間伝説と呼ばれていたファン・マヌエル・ファンジオというドライバーが存在します。残念ながら1995年に亡くなられているので、その伝説を本人の口から直接聞くことはできません。そこでこの記事では、F1の歴史で偉大な伝説を記録したファン・マヌエル・ファンジオに関する情報を紹介しています。F1が分からない人にもファン・マヌエル・ファンジオの伝説がすごい理由を分かりやすく説明しているのでぜひご覧になってください。

ファンジオはなぜ伝説と呼ばれる?

【F1チャンピオン】ファンジオが伝説と呼ばれている理由は、F1で累計5度のワールドチャンピオンを獲得しているからです。F1のワールドチャンピオンとは、1年間色々な国のサーキットでレースをして、順位別に獲得したポイントが一番多い人のことを指します。その上F1チャンピオンを獲得したファンジオのすごいところは、ポイントで大差を付けたシーズンが非常に多いことです。さらに、F1チャンピオンを1954年から1957年までの4連続で獲得したこともファンジオが伝説と呼ばれる理由になっています。この記録は2003年フェラーリのミハエルシューマッハが6回目を記録するまでの46年間破られることがなかった記録として語り継がれています。

F1チャンピオンになるのが大変な理由

F1チャンピオンになるには、ドライバーのテクニックだけでなくレースに参加する車のスペックも高い必要があるので非常に大変です。また、チームスタッフにも恵まれている必要があり、スタッフが少しでもミスをするとドライバーは大きく順位を落としポイントを獲得するのが難しくなります。そのため、一見するとレースはドライバー1人で戦っているように見えますが、サッカーやバスケと同じくチームプレイが必要な競技として知られています。

危険察知能力も伝説級だったファンジオ

5回もF1チャンピオンをファンジオが獲得した理由は、事故回避能力が高いからとも言われています。実はファンジオは何度か事故に巻き込まれた経験はあるものの、何度か巻き込まれる前に回避しているんです。車は一般道でさえいきなり事故が発生したらそのまま巻き込まれることも多い中、ファンジオは巧みに周囲の状況を判断し車の速度を落として事故を回避しています。分かりやすく説明すると、ペーパードライバー以外でゴールド免許を獲得するようなものです。しかも、F1レースは日本の法定速度よりもはるかに早い速度で車が走っているので、日本のゴールド免許だけでは表現できないほど凄いです。

当時の車は人が死んでもおかしくなかった

ファンジオがレースをしていた1950年代は、F1カーが走る棺桶と揶揄されるほど安全性が低いという特徴があります。F1チャンピオンをファンジオが獲得したシーズンでは、死人が出てしまったこともあり、僅か数メートル先で発生した事故を回避してゴールしたこともあります。その代表例が1953年イタリアグランプリで、後少しでもファンジオがアクセルを踏んでいたら避けるのは不可能だったと思います。当時の映像は白黒のものしか残っていませんが、事故当時の映像を見ると、これがカラーで流血シーンが鮮明じゃなくて良かったと思えるほどに激しいクラッシュでした。そんなクラッシュを見事回避して生き残ったファンジオは伝説という修飾子以外の表現が見当たりません。

伝説の男にトラウマを植え付けたレース

数々の危険を回避してF1チャンピオンを獲得したファンジオですが、1度だけ出走してやめたレースが1つあります。1955年のル・マン24時間というレースで、このレースでファンジオは自分の車に事故車のペイントが付くまでギリギリのレースをしていました。この事故では80人近くの観客が死亡しており、もしギリギリの走行をしていなかったら死亡していたかもとまで言われています。事故の規模もあって、ファンジオはこれ以降ル・マン24時間レースに出場していません。また、事故の中心にいたF1 メルセデスも同時期にレースから撤退しています。

ドライビングテクニックも伝説級!

走った自分でさえ危険すぎたと発言するほどのレースをしたのは、1957年ドイツグランプリです。当時は車に無線機が搭載されていない関係で、ピットからドライバーに連絡する手段が限られていました。そこでファンジオは、前のドライバーがこちらがペースを上げていることを知らない内に距離を詰め、レース残り2周という状況で1位になりそのまま優勝しました。

ファンジオのインタビューによって判明しましたが、ピットミスがあったため、どうやらわざと速度を遅らせていたらしいです。そんなファンジオの様子を見た1位と2位は、車を温存するため速度を落として確実にゴールする作戦を取り、ファンジオがその隙をついたようでした。現代レースでは考えられないレースの駆け引きで見事F1チャンピオンを獲得したファンジオは、同年のレースで最後の優勝経験をもぎ取ることになります。

ファンジオの生い立ちや経歴

ファンジオは1911年アルゼンチンにあるペンキ職人である父親の元で6人兄弟の4男として生まれています。小さい頃からおもちゃの代わりに機械をいじるような子供だったらしく、13歳になると地元の修理工場で働くまでになりました。そんなファンジオでしたが、時代の影響もあって兵役には逆らうことができず、しばらく自動車とは無縁の生活を送っています。しかし、兵役を終えると我慢していた気持ちを解放するように自分で修理工場を経営するようになり、23歳のころにレースに出場するようになります。この頃はまだF1もなかったので正確な記録は残っていませんでしたが、1950年ファンジオが39歳の時にF1が開催されます。そして翌年の1951年に初のF1チャンピオンをファンジオが獲得し、様々なレースで記録を塗り替えることになります。

まとめ

F1チャンピオンはを語る上で、ファン・マヌエル・ファンジオは外すことのできない存在です。特に46年間もの間破られなかったワールドチャンピオン獲得回数は、今なお伝説として語り継がれています。そんなファンジオですが、事故に巻き込まれそうになったことが何度もあり、大怪我をしたことも勿論あります。それでも復活してチャンピオンを獲得しているので、強靭な体やレース感は現代のレーサーの憧れでもあるのではないでしょうか。

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