レーサーとして輝かしい成績を残してきたミハエルシューマッハも、2025年で56歳を迎え今ではレーサーから退いています。そうなるとミハエルシューマッハが第二の人生をどのように過ごしているのか気になることでしょう。
そこでこの記事ではミハエルシューマッハの現在の活動について紹介しています。怪我をしたなど穏やかではない噂もあるので、その点も含めてミハエルシューマッハの現在をご覧いただきましょう。
ミハエルシューマッハの現在を調査した結果
ミハエルシューマッハは現在レーサーを引退しており、表舞台に姿を現していません。しかし、2024年9月にミハエルシューマッハの娘であるジーナ・マリア・シューマッハが結婚したため、結婚式会場に姿を現したとの情報があります。ただし、メディア関係者の出席が禁止されていた上に、スマホなどの記録機器は出席時に一度預かる措置がとられていたため、現在のミハエルシューマッハの写真や動画は見つかっていません。それでもミハエルシューマッハが元気という情報が飛び交っただけでファンは喜んでいたようなので、時間が掛かっても良いので元気な姿を見せてほしいですね。
現在の収入源を調べてみた
ミハエルシューマッハは引退した翌年の2013年にドイチェ・フェルメーゲンスベラトゥン社というドイツの金融業者とスポンサー契約を結んでいます。日本円に換算すると7年間で40億円近くもの大型契約だったようなので、恐らく引退後も数々のスポンサーがミハエルシューマッハと契約しているものと思われます。また、レーサーだったときのスポンサーも正式にスポンサー解除を発表している情報が見つかりませんでした。したがって、メルセデスやシューベルトなどミハエルシューマッハと個人的にスポンサー契約を結んでいる企業は現在も多いと予想しています。
ミハエルシューマッハの現在の家族構成
ミハエルシューマッハの現在の家族構成は、奥さんのコリーナシューマッハと息子のミックシューマッハと娘のジーナマリアの4人家族です。また、ミハエルシューマッハには、元F1ドライバーのラルフシューマッハという兄弟が存在し、息子にデビッドシューマッハという同じくF1ドライバーがいるため、シューマッハの親族として注目を浴びています。ちなみにデビットシューマッハは2025年現在フォード・パフォーマンスのファクトリードライバーに就任しています。
この様にシューマッハの男性の家系は代々ドライバーとしての道を歩んでおり、レースファンを楽しませてくれています。
父親と母親の現在
ミハエルシューマッハの母親のエリザベスシューマッハは2003年4月20日に死去していますが、父親のロルフシューマッハは現在もご存命です。また、ロルフシューマッハはレンガ職人の仕事をしていましたが、後にカード場の管理人に転職しており現在も新しいライバー育成に力を入れているとの情報があります。なお、ロルフシューマッハは再婚しており再婚相手との間に生まれた息子のセバスチャンシュタールもレーサーをしています。
ミハエルシューマッハの経歴とは
ミハエルシューマッハが最初に車に触れた切っ掛けは、4歳のときに父親に買ってもらった原動機付きペダルカーです。当時のミハエルシューマッハは周囲の状況もかえりみずに乗っていて、壁や物にぶつかることがあったため、ロルフシューマッハが近所のカートレース場に連れていき、これがレースを始める切っ掛けになったようです。そして14歳になると国内カートライセンスを取得し、翌年と翌々年にドイツ・ジュニア・カートチャンピオンになります。さらに1987年にはドイツとヨーロッパのカートレースのチャンピオンになっているので、元からレースの才能があったようです。
中学卒業後の経歴について
ミハエルシューマッハが中学を卒業後一番最初に始めたのが、整備士の資格取得です。自動車販売店で2年間勤務したときに取得しており、ドライバーとしては1988年にジュニアフォーミュラに出場しています。しかもWTSレーシングのオーナーであるウィリー・ウェーバー氏に見つかり、マネージメント契約を結んでいます。この契約のおかげで1989年にミハエルシューマッハはドイツF3選手権に出場できるようになり、2勝して見事3位入賞を果たしています。さらに1990年は同シリーズで5勝するほどの大躍進を遂げ、見事チャンピオンを獲得しています。
メルセデスジュニアチーム所属後の経歴
メルセデスジュニアチーム所属後のミハエルシューマッハは、ドライバー育成プログラムに参加することでドライビング技術をメキメキとつけ、1991年に見事フォーミュラ1デビューを果たしています。このデビューで逸話と言われているのが、ベルトラン・ガショーの逮捕事件です。当時メルセデスのドライバーだったベルトラン・ガショーの代わりを探すべく、テストドライバーとしてミハエルシューマッハが選ばれたのですが、その走行を見たジョーダンチームがメルセデスと契約する前にかっさらっているんです。つまり、ベルトラン・ガショーの事件がなければミハエルシューマッハの現在の活躍は無かったかもしれないんです。
F1デビュー後から引退するまでの経歴
ジョーダンからF1デビューし、ベネトンやフェラーリと数々の名チームに所属してきたミハエルシューマッハは晩年こそ苦戦していましたが、数々の大記録を打ち立てています。現在は更新されている記録も多いですが、年間優勝13回や通算ファステストラップの77回はミハエルシューマッハが現在もトップのままです。また1位ではありませんが、ミハエルシューマッハが獲得した通算ポールトゥウィン獲得数の40回や、年間全レース完走はレース界の伝説ともいうべき記録として現在も語り継がれています。
ミハエルシューマッハの頭部外傷について
公私共に順風満帆の人生に思えたミハエルシューマッハですが、引退4か月後の2013年12月にスキー中に頭部に深刻な外傷を負ってしまいます。事の発端は、息子のミックとスキー旅行にいったときのことです。未整備のコース外エリアを滑っていたそうで、不運にもバランスを崩し大きな岩に頭部を強打させてしまいます。幸いなことにヘルメットをしていたため命は取り留めましたが、外傷性脳損傷になったことで人工的な昏睡状態にさせる必要が出てきてしまったんです。目を覚ましたのは事故から6か月後の2014年6月で、家でリハビリができるまでに回復したそうです。この事件以降シューマッハは生存こそ確認できているものの、表舞台には一切顔を出さなくなってしまいました。
まとめ
ミハエルシューマッハは幼いころからドライバーとしての才能を開花させ、現在までに色々な伝説を築いています。特に通算ファステストラップ数や年間優勝回数は、ミハエルシューマッハが引退してから10年以上経過しても破られていない伝説の記録として残っています。そしてミハエルシューマッハは現在スキー旅行中の怪我によるリハビリ生活を強いられており、メディアに姿を現すことが無くなっています。