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メルセデスF1チームの歴史を紹介!エンジニアである日本人とは?

2025年9月20日

車に詳しくない人でもメルセデスベンツの車種で知名度を広げているメルセデスですが、F1チームとしての歴史もすごいことを皆さんはご存じですか?この記事ではF1をあまり知らない人にも分かりやすくF1メルセデスの歴史を紹介しています。噂になっている日本人エンジニアについても紹介しているので、海外で活躍している日本人に興味がある人もぜひご覧になってください。

メルセデスF1チームの歴史を大解剖

メルセデスが最初にF1に参戦したのは1954年からです。監督にはノイバウアー、ドライバーには1951年アルファロメオのドライバーとして、ワールドチャンピオンを取ったファン・マヌエル・ファンジオを迎えています。そして来る1954年F1世界選手権アルゼンチングランプリですが、予選でファン・マヌエル・ファンジオは3位だったものの、トップに1秒近くのタイム差をつけられてしまいます。

今年のファン・マヌエル・ファンジオはダメか?と思われる中、なんと決勝では1位になっています。その後も第3戦のベルギーグランプリでポールトゥウィンとファステストラップを記録しており、見事1954年のワールドチャンピオンを獲得しています。

1955年に発生したメルセデスの悲劇とは

メルセデスのF1生活は順調に思えましたが、迎えた1955年にメルセデスがF1から撤退せざるを得ない事件がおきます。それは6月11日から6月12日に開催されたル・マン24時間レースに参加していたときのことです。ドライバーだったピエール・ルヴェーがメルセデス300SLRの運転を誤り大クラッシュしたのです。事故時の速度は時速200kmを超えていたので、飛び散ったマシンのパーツがその勢いのまま観客席に飛び散り、200名以上の死傷者を出してしまいました。

この事件を重く見たメルセデスは、その場で参加している全車両の自主リタイアを決定し、F1含め全てのレースから撤退することになります。しかもこの事件は、スイスでモータースポーツを禁止する事態にまで発展しています。

メルセデスがモーターレースに復帰した年について

メルセデスは事故以来F1から距離を置いていましたが、1980年代からエンジン開発やドライバーの育成など徐々に本格的なモータースポーツ復帰を計画していきます。特にドライバー育成への力の入れようは凄まじく、ミハエル・シューマッハやハインツ=ハラルド・フレンツェンやカール・ヴェンドリンガーといった名ドライバー達を誕生させています。

特にミハエル・シューマッハは、F1史上最高のドライバーとして今も伝説に残っており、レースを知らない人でもシューマッハの名前に心当たりがある人も多いのではないでしょうか。

待ちに待ったメルセデスF1本格復帰の時

メルセデスがF1に本格的に復帰したのは、1990年からです。この時は、イギリスのエンジンビルダーであるイルモアに資本参加する形でレースに復帰していますが、エンジンの性能は決して良いものでは無かったと言われています。しかも、1991年にはイルモアとパートナーシップを結んでいたレイトンハウスの事業が低迷し、メルセデスもそれに巻き込まれる形で窮地に追い込まれます。しかし、イルモアエンジンに改良を加えると同時に、徐々にメルセデスのF1に必要な技術力が向上し、ついに1994年メルセデスはF1への復帰を正式に宣言しています。

F1復帰を後押ししたドライバーの存在とは

メルセデスのF1復帰を後押ししたドライバーは、兼ねてからメルセデスのドライバー育成プログラムに参加していたミハエル・シューマッハとハインツ=ハラルド・フレンツェンとカール・ヴェンドリンガーです。ミハエル・シューマッハは1992年にドライバーズタイトルを獲得し、ハインツ=ハラルド・フレンツェンとカール・ヴェンドリンガーは、1993年と1994年にそれぞれ自分のシートを獲得しています。

この時の所属チームはザウパーだったので、メルセデスもザウパーにエンジンを供給するようになり、1994年にはコンストラクターズ選手権で7位を獲得しています。

長い付き合いになったマクラーレンとの関係

1995年からのメルセデスは、マクラーレンにエンジンを供給する形でF1に参戦しています。また、マクラーレンもスポンサーをタバコ会社のウエストに変更すると共に、マシンのカラーを商品カラーに合わせる形でシルバーに変更しています。この時からマクラーレンにメルセデスのエンジンを積んでいるレーシングカーをシルバーアローと呼ぶようになり、メルセデスレーシングカーの代名詞とも言えるマシンとして認知されます。

その後2014年にマクラーレンがメルセデスとの協力関係終了を発表するまで、F1で共闘しており数々の好成績を収めています。

F1チームとして参戦することになったメルセデス

メルセデスがF1チームとして参戦したのは、2010年からです。メルセデスGPというチーム名で参加しており、前年度のチャンピオンチームを買収していたため、優勝は間違いないだろうと噂されていました。しかし、噂が真実になることはなく、レッドブルやマクラーレンと良い勝負をするどころか、下位のチームにさえ負けてしまうほどの成績しか収められませんでした。

しかし2014年から導入されたパワーユニットに関するレギュレーション変更でメルセデスの成績は一気に好転し、2021年までコンストラクターズ8連覇を記録しています。

2022年から2025年までのメルセデスの記録

2022年ではコンストラクターズこそ3位だったものの、ルイス・ハミルトンがドライバーズランキング6位でジョージ・ラッセルがドライバーズランキング4位を獲得しています。その後もメルセデスはF1で以下の表にまとめたような好成績を収めており現在に至ります。

コンストラクターズドライバーズランキング
2023年2位ルイス・ハミルトン3位
ジョージ・ラッセル4位
2024年3位ルイス・ハミルトン7位
ジョージ・ラッセル6位
2025年9月現在3位ジョージラッセル4位
アンドレア・キミ・アントネッリ8位

メルセデスの日本人エンジニアとは

メルセデスF1チームのジョージラッセルには、桑原克英という日本人のパフォーマンスエンジニアが存在します。パフォーマンスエンジニアとは、車両のデータを分析して戦略的にレースを攻略するアドバイザーで、分かりやすくいうと軍師のような役目です。ドライバーと接することが多く、メンタル面のサポートをすることもあるので、ジョージラッセルの好成績は桑原克英の影響とも言われています。

まとめ

メルセデスのF1人生は、事故や他人の経営不振に巻き込まれるなど散々な時期もありましたが、2014年からコンストラクターズで8連覇を記録した実力は本物です。さらに2025年現在も新しくアンドレア・キミ・アントネッリを迎え、チーム全体が好成績を収めているため、きっとまたメルセデスでチャンピオンが誕生することでしょう。

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