皆さんはレーシングドライバーの中で、伝説と呼ばれている井出有治のことをご存じですか?実は多くのレーシングドライバーが成績やタイムで伝説を残す中、井出有治はちょっと変わったことで伝説を残しているんです。
そこでこの記事では、井出有治がレース界に残したちょっと変わった伝説を紹介しています。2025年現在何をしているのかも含めて紹介しているので、変わった伝説に興味がある人はぜひご覧ください。
井出有治はなんで伝説って言われているの?
井出有治が伝説と言われている理由は、度重なるドライブスルーペナルティを無視したことが原因です。ドライブスルーペナルティとはGTレースのルールのことで、他の車に意図して接触したり、ピット作業の違反が発覚したりしたときに付与されるペナルティです。ドライブスルーペナルティが宣告されたドライバーは、ピット作業をせずに一度ピットレーンを通過しなければなりません。ピットレーンでは追い越し禁止な上に速度制限があるので、順位を大幅に落とすことになります。
ドライブスルーペナルティの仕様とは
ドライブスルーペナルティは、宣告されてから3週以内に消化する必要があります。しかし、井出有治はドライブスルーペナルティを宣告されたにも関わらず、3週以内にピットを通過しなかったため、レース失格を言い渡されています。しかも、ピットからはボードや無線などで一生懸命ドライブスルーペナルティを伝えていたにも関わらず、井出有治は無視したので、伝説的にひどいドライバーとして認知されてしまいました。
ドライブスルーペナルティ無視を超えた井出有治の暴挙とは
仮にドライブスルーペナルティを無視した場合、オフィシャルからは黒旗を提示されます。黒旗とはレース続行の資格なしを意味する旗で、宣告されたドライバーはレースをやめて速やかにピットに車を戻さなければなりません。しかし、井出有治は黒旗さえも無視してレースを続行していたので、ドライバーとして伝説的に悪い見本と言われています。
井出有治が本当にペナルティの告知を無視していたのか検証してみた
SUPERGTのレースではコース各所に審判員が配置され、旗とゼッケンで該当のドライバーに対して警告などを行う仕組みになっています。そのため、井出有治が警告に気づかなかったという可能性はありえません。また、気づかなかったとしても、ホームストレートではチームのピットスタッフがボードなどを使って連絡ができるようになっているため、警告に気づかない可能性はないです。ちなみにSUPERGTでは以下のような旗が提示され、それぞれに意味があります。
旗の色 | 意味 | 備考 |
赤 | レース中断 | 主に雨が激しくなったり、激しい事故が発生したときに提示されます。 |
黄 | 追い越し禁止 | 黄色旗を提示しているスタッフがいる区間は追い越し禁止になり、セーフティカーが導入されます。 |
緑 | このままレースせよ | 黄色旗を解除するときに提示されることが多いです。 |
青 | 道を譲れ | 提示された車は、後ろから来る早い車に道を譲る必要があります。 |
白 | 前方注意 | 前にトラブルで速度の出ない車がいることを知らせるときに提示されます。 |
黒 | レース続行不可能 | 重大なルール違反などが確認されたため、ピットに戻るよう促すために提示されます。 |
オレンジディスク | 車両に欠陥あり | 車に重大な欠陥があるため、ピットに入るように警告するために提示されます。 |
チェッカー | レース終了 | トップの車がゴールしたときに提示されます。 |
井出有治の経歴を振り返ってみよう
井出有治がレーサー生活を開始させたのは、1990年の15歳のときです。この時はカートレースに参加しており、本格的にプロのレースとしてF3に参加したのは1994年からです。しかし、F3での成績は散々たる結果で、一度フォーミュラードリームに転向する形でシリーズチャンピオンという好成績を収めています。この時資金援助していた鈴木亜久里によると、フォーミュラードリームで結果を残せなかった場合、引退を勧告する予定だったらしく、井出有治はギリギリで踏みとどまることができたようです。
この好成績を元に井出有治の活動の幅が広がり、念願だったF1出場とフォーミュラ・ニッポンとSUPER GTへの参戦も決定しました。
黒旗を提示された年を詳細に分析した結果
井出有治がF1に出場した2006年の成績はリタイヤ3回と13位1回という散々な結果で、その後すぐに黒旗を提示されたSUPERGT第6戦鈴鹿サーキットに参戦しています。そのため、今思えば心理的に不安定な状態のときにレースに参加してしまったことが黒旗無視に繋がったのではとも言われています。しかも、ドライブスルーペナルティを宣告されたのはレース開始から4週目のことで、長時間のレースで判断力が鈍ったという可能性も低いです。その上スポット参戦だったため、井出有治の行動が悪目立ちしてしまいました。
さらに悪いのは井出有治が黒旗を宣告されたことで、XANAVINISMOZはチャンピオンを逃しています。チャンピオンを獲得したのがOPENINTERFACETOM'SSC430の80ポイントで、XANAVINISMOZが69ポイントだったので、いかに惜しいシーズンだったのかが分かると思います。
黒旗レース後の井出有治について
黒旗レース後の井出有治は、引き続きSUPERGTとフォーミュラーニッポンに参戦していました。しかし2009年からは所属チームのARTAがフォーミュラニッポンから撤退した上に、2011年には井出有治自ら一度レースを辞めています。その後復帰と休止を繰り返しながらレーサーとしての活動を模索していたようですが、黒旗レースの印象が悪かったのか、スポンサーが見つからなかったり、参戦してもすぐにシートを奪われたりしています。
井出有治の活動について
2025年9月現在、井出有治のレーサーとしての活動は確認できていません。最後にレースに出場したのは、2022年のSUPER GT・GT300クラスで、ドラゴ・コルセというチームに所属しています。2023年からはNEWTOKYOCIRCUITという会社に所属しているようで、職務上不適切な行動によって訴訟されています。2024年に和解が成立しているので、現在は何もなさそうですが、一部ではどこへ行っても問題起こす人だというイメージがついてしまったようです。
まとめ
レーシングドライバーの井出有治は、史上稀に見ない黒旗をレース中に提示されたことで、伝説のレーサーとして語り継がれています。しかも、黒旗を無視して他のレーサーにも迷惑をかけた上に、チームメイトをチャンピオンが取れない状態にしてしまいました。その罪は重く、レーサーを続けようとしてもスポンサーがいないので、2025年9月現在はレーサーを引退している状態です。